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世界の“AIKIDO”動画にビックリ !! - 合気柔術と化していた

 

合気道は現在、世界130か国、100万人を超える人たちに愛されています。

YouTube”AIKIDO”と検索すると、たくさんの動画がUpされています。

 

動画で目を見張るのは外国の人たちが合気道と称してストリートファイトをしたり、異種格闘技で空手と合気道はどちらが最強?みたいな動画がてんこ盛りにUpされていることでした。
残念ながら、まだまだ真の合気道が正しく世界に広まっているとはいえないようです。

 

ここで合気道の歴史と思想をWikipediaから抜粋して紹介します。

 

合気道の歴史

創始者植芝盛平1883年(明治16年)生まれ。
大東流武田惣角に出会いその技に驚嘆し入門、武術的開眼を得る。 

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The founder of Aikido   Morihei  Ueshiba

 

1925年(大正14年)の修行中「突如黄金の光に包まれ宇宙と一体化する」という幻影に襲われる神秘体験に遭遇(「黄金体験」)、「気の妙用」という武道極意と「万有愛護」という精神理念に達する。
 

1940年(昭和15年)財団法人皇武会設立。大東亜戦争中は軍部からの要請で陸軍憲兵学校陸軍中野学校海軍大学校などで盛平が武術指導を行なう。


1942
年(昭和17年)戦争に批判的であった盛平はこれを機に茨城県岩間町に隠棲する。
1944年 岩間に合気神社を完成させる。

 

終戦後の1948年(昭和23年)に皇武会は「財団法人合気会」として改めて文部省の認可を受け、この時から「合気道」の名称を用いだした。

これにより盛平は初代合気道「道主」となり、没後は特に「開祖」と呼ばれる。

 

1950年代から盛平の弟子たちが積極的に海外普及に努めた結果、東南アジア・北南米・欧州など国際的に広まり、1961年(昭和36年)盛平自身もハワイに渡り各地で演武を披露した。

 

1969年(昭和44年)盛平死去、吉祥丸が二代目道主となる。

 

 

合気道の理念・精神性

 

「精神的な境地が技に現れる」と精神性が重視される。
このように創始者個人の思想や生い立ちが個々の修行者に及ぼすカリスマ的な影響力は、他武道に比して強い。その背景には、小兵でありながら老齢に達しても無類の強さを発揮するなど、盛平に関しての超人的なエピソードが幾つも伝わっており、それが多くの合気道家に事実として信じられ、伝説的な武術の“達人”として半ば神格化されていることも大きな理由の一つである。

 

武術をベースにしながらも、理念としては、武力によって勝ち負けを争うことを否定し、合気道の技を通して敵との対立を解消し、自然宇宙との「和合」「万有愛護」を実現するような境地に至ることを理想としている。

主流会派である合気会が試合に否定的であるのもこの理念による。「和の武道」「争わない武道」「愛の武道」などとも形容され、欧米では「動く禅」とも評される。

 

近代以降、武道の多くが「剣道(剣)」「柔道(投・極)」「空手(打)」と技術的に特化していったのに対し、合気道では投・極・打(当身)・剣・杖・座技を修し、攻撃の形態を問わず自在に対応し、たとえ多数の敵に対した場合でも、技が自然に次々と湧き出る段階まで達することを求める。

この境地を盛平は「武産合気」(無限なる技を産み出す合気)と表現し、自分と相手との和合、自分と宇宙との和合により可能になるとしている。

 

 

これからは私の先生から聞いた話です。

 

先生の合気道40歳と決して早くはありません。ゆえに、盛平開祖のご指導を受ける機会には恵まれませんでしたが、2代目の吉祥丸先生の下で毎日本部道場に通って稽古に励まれていたそうです。

 

吉祥丸先生や先人の指導者の方から伝え聞いた話によると、『合気道に形は無い』との開祖の言葉通り、開祖自身も日々進化されていたそうです。
戦前の開祖は人を殺めるための武術として鳴らし、戦後に神秘体験を経験し、岩間神社を自らお建てになり、自然宇宙との和合、「合気は愛なり」といった合気道、そして武産合気へと変遷されていったとのこと。

吉祥丸先生は息子として、弟子として、日々、開祖の稽古に接し、講話を聴いていましたから、開祖の変化を見ることができますが、一回の演武を見ただけの人は、その時の開祖の演武こそが真の合気道だと思ってしまうのです。ある意味、それは仕方ないことですよね。

まして、海外からはるばる本部道場を訪れ、限られた時間で合気道を習得し、海外の地で合気道を広めようとする外国人指導者が、開祖の思想を理解し、相手と調和する武道を伝える大変さは想像に難くないです。

 

武産合気を世界の人に知ってもらいたい。

私は今の先生に出会い、稽古だけでなく、いろいろなお話しを聞かしていただき、合気道の精神や思想を理解することができました。これは非常にラッキーだと思っています。

 

先生は日々、合気道を通じ世界が平和になることを祈っています。

その先生を気持ちを自分が受け継ぎ、いつか世界に発信できる日が来るといいなと思い、先生の合気道を習得できるよう稽古に励みたいと思います。

 

 

See you next !!