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人生初の海外旅行(バリ島) 回顧録  1998年

バリ島

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私の初めての海外は1988年、大学1年の秋に友人と3人で行ったバリ島だった。 今ではアジア屈指のリゾートとして有名なバリ島だが、当時はまだまだ発展の途上にあり、一部の高級リゾートエリアとその他のギャップは激しかった。 最初のハプニングがバリ到着前に訪れた。私たちが搭乗したのはガルーダインドネシア航空。 離陸準備も整いエンジンがうなりをあげる。ものすごいGで機体はあっという間に速度をあげる。

初めての経験に思わず身が強張る。いよいよ離陸かと思ったその瞬間、突然エンジン音が止み、機体は急激に減速する。 機内がざわめくと、「離陸速度に達しなかったため、やり直します。」との場内アナウンスが・・・。

「おい!これって良くある事なのか?」「こんな事初めてだよ。」友人の言葉に一層の不安を掻き立てられた。2度目の離陸は無事成功し、7時間のフライトの末、夜のデンパサール空港に着陸した。 東南アジア独特の匂いと、熱帯気候のモアっとした熱風に包まれながら、ホテルに向うマイクロバスに乗り込んだ。バスは夜の町を猛スピードで駆け抜ける。 暗くて外の様子は解りづらいが、道はデコボコ、瓦礫の山、時折見える灯りの下にたむろす現地の人達が怪しい光景に拍車をかける。 「おいおい、俺たち生きて帰れるのか?」「大丈夫だよ。滞在するのは観光地だから。」 

友人の言葉とは裏腹にバスは走れど景色は一向に変わらない。

やがて薄暗い道端にバスが止まった。どうやらホテルに着いたらしい。

 

そこにはホテルなどなく、廃墟の建物が見えるだけだった。なんじゃこりゃ!案内者が早くこっちへ来いと手招きする。落胆しながら廃墟のようなアーチをくぐると、なんとそこは南国のリゾートだった! ロビーは南国の植物とバリ装飾に施され、その先には青白く照らされた屋外プールが輝いていた。 私たちの滞在先はクタといって、世界的に有名なクタビーチがあるエリア。 高級リゾートエリアとは違い、現地の住民と観光客(特に欧米人)が共存するとても面白い所だった。

夜のビーチに行こうとフロントに行き方を尋ねると「No !! Very Dangerous」、お前らアホかという目で見られた。日本では花火を楽しむが、そんな感覚では命がいくつあっても足りないらしい。 翌朝解ったのだが、ホテルが改築中だったため、工事中の現場が暗闇で廃墟のように見えたのだった。

 

私たちは現地住民の生活の中心であるデンパサールのマーケットに足を運んでみた。
現地の文化に触れてみたい、そんな気持ちはものの数分で打ち砕かれる事になる。

 

くさい、とにかく、くさい! マーケットには所狭しと店が建ち並び、現地の人でごった返していた。そこはフルーツの熟れた匂い、 生魚の匂い、香辛料の匂い、至る所に捨てたれた生ゴミ、食べくずの匂い、人の匂いが混じりあい、我慢できなくなった私たちは早々に退散するはめになった。

 

旅の本では解らない現実がそこにあった・・・。

 

クタのビーチ沿いにはオープンテラスのレストランやお土産屋が建ち並び、舗装されていない道を多くの観光客や現地住民が行き交う。至るところで売り子がこれ買え、あれ買えとしつこく付きまとい、ビーチでのんびりしようと思えば、マッサージのおばちゃん5~6人に囲まれ、勝手に体を触わられる。何とか断ったかと思えば、「ケチ!」といったニュアンスの現地語で罵られる始末。

 

それが嫌なら金を払ってプライベートビーチに行けということらしい。

お洒落なオープンレストランでは観光客だけに許された世界が広がる。現地の人たちがここで食事をする事はない。

 

テラスから見る夕日は素晴らしく、かなり安い値段で美味しい料理が運ばれてくる。

一方、外では裸足の子供たちが観光客相手に売り物をさばこうと必至だ。

 

日本で貧乏な学生も、現地ではお金持ちに変わりない。ただ日本で生まれただけなのに。理不尽さを強く感じた。そんな思いに触発され、翌日の夕食は現地の人が営む屋台でミーゴレンを購入。

 

お釣りはいらないといったら、屋台の家族全員から握手を求められた。たかが50円である。 しかし、その食事が日本に帰って仇となった。3人ともひどい下痢に襲われた。便意が無いのに発せられる水状態の便に圧倒されながら1週間寝たきりで過ごした。そんなこんなで最高に面白い旅だった。

 

他にも、プールで知り合った可愛い白人の女の子が実は小学生だった事。

なぜかバリの女性にモテた事、バーで白人から「Pretty Boy」と言われた事。

 

2,000円で売っていたサングラスを値切ったら100円になった事。

友人がスーツケースのカギを無くし、一度も空ける事がないまま旅行を終了した事などなど、楽しい話しは尽きない。

 

あれから30年もの歳月が経ってしまった。島は変わったのだろうか?

 

またいつか行ってみたいそんな島だった。

 

See you next !!