天の村雲九鬼さむはら竜王大神
植芝盛平開祖は、
「天の村雲九鬼(あめのむらくもくき)さむはら竜王大神が降臨され、『我は植芝の血脈にくい入りくい込んでいるぞ』と言われたのです。そして合気道の守護神であると言われたのです」
と、神様が自分の体に降臨されたと自らおっしゃっています。
それを信じるか信じないかは人それぞれですが、合気道の不思議な魅力は、開祖のこういった逸話がたくさん残されていることが要因のひとつかもしれません。
因みに「天の村雲九鬼さむはら竜王大神」とは、気(エネルギー)の神様だそうです。
開祖は、「天の村雲九鬼さむはら竜王大神」が降臨されたという不思議体験をされた後、茨木の岩間に神社を建立し、毎日、行をされていました。
今でこそ各合気道会で演武会(合気道には試合がないので稽古の成果を披露する場)を開催していますが、開祖の時代は、開祖だけが許された神への行だったと言います。
また、今日でも道主の稽古では、まず、『天の鳥船の行』『振魂の行』と心身を浄化する行から入ります。これは『ミソギ(身を削ぐこと)』、つまり心身を清める行で、開祖が稽古前に行っていたことが今でも受け継がれているのです。
『天の鳥船の行』とは、舟漕ぎ運動とも言いますが、和合の世界をめがけてまっしぐらに漕ぎわたる精神を養成するための行で、
『振魂の行』とは、精神統一と雑念を去るために、両手を組んで(左手が上)、上下に振りながら、頭から丹田に納めます。
このように、合気道は神(=氣)の世界と密接に関係している武道なのです。
世界130か国以上の人たちが開祖の合気道を愛し、世界から本部道場に集まってきます。
武道としての魅力もさることながら、何か神秘的なものに魅かれるのかもしれませんね。
神(=氣)と合気道について、私流に解釈してみます
著書『武産合気』には、開祖が講話や稽古でおっしゃった言葉が書かれています。あまりにも神学的な表現が多く、残念ながら今の私には理解できません。もっと勉強が必要です。笑
若輩者ではありますが、その言葉に含まれている意図は何となく肌で感じることができますし、諸先輩から教わったことを踏まえ、自分なりに解釈してみたいと思います。
「合気道は動く禅である。」と表現する方もいます。うまい表現ですが、やはりよくわかりません。
それでは「合気道は動く宗教である。」これはどうでしょう?これも少し違うと思うのです。
要は何かといえば、森羅万象(宇宙に存在するすべてのもの)をよく観察し、その法則を学び、合気の技を通し、稽古に励むことで、その法則に逆らわない技術と心を養い、自然と調和できる人間に育っていくことを追及する武道、それが合気道ではないかと思うのです。
もちろん、他の武道だって日本古来から育まれた神や自然を敬う精神が受け継がれていると思います。
しかしながら、合気道ほど、稽古や技の中にそのような教えを取り込んでいる武道は他にないでしょう。
合気道には試合がありません。他にそのような武道はないですよね。
相手と調和する武道は武道じゃないと思う人もいますよね?
それでもあるのです!
強い者よりも、調和する者が相手を自由に動かせる世界が存在するのです。
調和するとは何かといえば、普段している自然な動きをするということです。
上にある物を取ろうとするとき、まず肘が曲がってから腕が上に伸びますよね。その時、脇は締まっている筈です。腕を下すときも肘から戻りますよね。
これが技をかけるとなると、腕を伸ばして受け止めたり、手を使ってひっぱろうとするので、脇が開いて不自然な動きになります。
また、下にある物を拾おうとするとき、右手で取るなら右足が前にでますよね?
腰を曲げて拾うと腰にかなりの負担がかかるので、腰は曲げずに膝を落として拾うのが自然です。
これが技になると手と足が逆になったり、腰を曲げてわざわざ負担をかける動きをしてしまうのです。
次に深呼吸をしてください。息を吸うと胸が開いて大きくなりますよね。
ハァ~と息を吐くと体は柔らかくリラックスして重心が下に落ちます。
相手が向かってきたら息を吸って大きくなればいいのです。
自分の氣が相手に向かっているので、それだけで相手は嫌なプレッシャーを感じるのです。
これこそが入り身です。
相手に腕を掴まれたら息を吐いて、物を披露ように良い姿勢のまましゃがめばいいのです。掴んだ相手は支えがなくなるので、あなたの腕を離せなくなり、あなたがしゃがめば、転ぶしかなくなるのです。
もし持たれた腕に力が入っていれば、相手はつかんだ腕を支点にして次の攻撃をすることができるのです。
不自然な動きは体に負担を掛けますから、どうしても力が入ってしまいます。
力が入ると体が硬くなり動けなくなります。合気道は呼吸が大事と言われ理由がここにあります。
私も最近になってようやく自然に動くことの大切さがわかってきました。
最初は自然に動く、力を抜くことの意味が全く理解できませんでした。力を抜くと体全体がもぬけの殻のようにフニャフニャになっていました。笑
何度も何度も注意され、それまで1度もできなかったことが、100回に1回、50回に1回と、徐々にできるようになってきました。
これからも、「自然に動こう」「力を抜こう」と意識をしながら、日々精進していきたいと思っています。
See you next !!