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日大アメフトのタックル問題と合気道に試合がないことの意味を考える

連日、アメフトの反則タックルのニュースが報道されていますね。

勝つためにどこまで許されるのか?スポーツとしてのモラルを問われた問題です。

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【勝ちにこだわることは悪いのか?】

 

人間、勝ちたい・負けたくないという気持ちはごく自然に持っています。この勝ちたいというモメンタムは、人間が成長する上で素晴らしい結果をもたらすこともあれば、今回のように悪い方向に作用してしまうこともあります。

 

悪い方向に作用する最悪な例は戦争ですね。

自分たちが勝つために人の命をうばうのですから、もはや愚かな行為としかいいようがありません。

 

裏を返せば、人間は規制をしなければ、人を殺すまで行ってしまう生き物だということです。

本能、DNA、性質、根底といった表現があてはまるのでしょうか?

 

 

【スポーツは規制をかけた勝負事】

 

さて、スポーツには、団体・個人、対戦型・自己完結型など、多種多様にありますが、スポーツの多く、いやほとんどのスポーツが勝負事だと思います。

 

たとえば、マラソン

一人で走っているだけなら自己完結型といえますが、いざ競技に参加するとそこには勝負の世界が存在します。大会には参加しても自分は順位にこだわらないよ。という方もいると思いますが、勝負へのこだわりが薄いだけで、勝負事の競技に身を置いていることに変わりはありません。

 

それではヨガはどうでしょう?

さすがにヨガに勝負はないだろうと思っていたのですが、どうやら世界チャンピオンが存在するみたいです。

 

武道と言われる空手、柔道、剣道は?

皆さんご存じの通り、これこそ相手を打ち負かして競うもので異論はないかと思います。

つまり、空手、柔道、剣道は武道である一方、武道からルールの中で競い合うスポーツ競技に発展したと言えるのです。

 

スポーツですから、勝ち負けにこだわるのは結構な事です。

むしろ、私自身、学生の頃からバスケ、サッカーと団体スポーツをやってきましたので、勝ち負けを争うのは好きです。

 

プロスポーツやオリンピックなどのアスリートが勝ち負けを争った極限のプレーを見ると、やはり映画やドラマにはない本物の興奮を味わうことができますし、子供たちの運動会に行くと、1位になるために必死に走る姿に感動を覚えます。

 

ゆとり教育がもてはやされた時代、幼稚園の運動会で、徒競走は全員一緒にゴールするという話を聞いたことがありますが、私個人的には疑問に思いました。

 

勝ちたいというモメンタムが子供たちの精神力や体力にいい影響もあると思うのです。

負けて悔しいと思うから、つぎにがんばろうと明日への活力が生まれることもあります。

 

ただし、勝負にこだわりすぎた時、今回のような行動を引き起こしてしまう弊害があるということを改めて思い知らされました。

 

合気道にはなぜ試合がないのか】

 

植芝盛平開祖が教える合気道に試合はありません。したがって、勝ち負けも存在しません。

開祖は大東流合気柔術と言われる武田惣角の下で修業をしていましたが、その合気柔術とは人を殺傷するための技術でありました。

 

その後、開祖はそれまで覚えたあらゆる武術をいっさい忘れ、「自然宇宙との和合」「争わない武道」を目的とした新たな武道を生み出したのです。それが今の合気道です。

 

「争わない武道」ですから、当然、相手と競う試合などありません。

試合がないということは、自分が習得したものすべてを包み隠さず後輩に教えることができるのです。

他のスポーツではそうはいきませんね。

引退後に教えることはできても、自分が現役時にライバルに教えることはしないでしょう。

 

また、試合の代わりに行われる演武大会では、日本人・外国人、男性・女性、大人・子供に隔てなく、会場にいる全員が演武者を応援することができます。

まさに開祖が伝える「和合」の精神を生かせる武道になっているのです。

 

合気道を始めたころの自分は、

「試合がないのにどうやって自分のスキルを向上させるのだろう?」

「自分がどれくらい強くなったかどうやって確かめるのだろう?」 

「せっかく武道をやるなら、自分がどれくらい強くなったか知りたい」 

「合気の技を使って、本気で向かってくる相手を抑え込んだり、投げ飛ばしたりしてみたい」 

と思ったものです。

 

しかし、稽古を重ねていくうちに、試合が無い意味を理解し、いかに己のやりたい、投げたいという気持ちを抑えることが大切かを学ぶことができています。

 

今回のフットボールの事件に触れ、合気道に試合がない理由を改めて思い起こした次第です。

 

See you next !!